ミュージカル映画『CATS』を観に行ってきました。
ミュージカル好きでこの作品を知らない人はいないのではないでしょうか。日本では劇団四季が1983年から現在まで上演していて、多くの人が劇場に足を運んでいる名作でもあります。
でも、最初に『CATS』が映画化すると知った時は正直ちょっと、耳を疑ったんですよね(汗)。というのも、”人間の形をした猫”というスタイルは、舞台だから映えるのであって、映像で見せる必要はないんじゃないかと思ったからなんです。まだCGで本物のネコたちを作り出したほうが納得できるなと。
で、海外で上映が始まると…聞こえてくるのは酷評のほうが圧倒的に多い(苦笑)。「エ〇いホラー」なんていうフレーズまで目にしましたww。これはちょっと、行くのどうしようかなぁと・・・実際のところかなり悩みました。
が、ミュージカル好きとしては、やはり一度はこの目で確かめてみたいという思いも強く(笑)上映が終わる前に思い切って行ってみることにしました。
ちなみに、私が見たのは吹き替え版です。今回字幕版は見ていません。いっくんとか、わかなちゃんとか、大貫くんとか、日本のミュージカル界で活躍してる役者さんもけっこう参加してるということもあってやはりそちらに興味が向きました。
以下、ネタバレを含んだ映画版『CATS』の感想です。
【ミュージカル映画】『CATS -キャッツ-』
作品概要
映画公開日:2020年1月24日(金) 鑑賞日:2020年2月12日(水)
監督:トム・フーパー
原作:T・S・エリオット「キャッツ - ポッサムおじさんの猫とつき合う法」
音楽:アンドリュー・ロイド=ウェバー
主な日本語吹き替え版キャスト
- ヴィクトリア:葵わかな(フランチェスカ・ヘイワード)
- マンカストラップ:山崎育三郎(ロビー・フェアチャイルド)
- グリザベラ:高橋あず美(ジェニファー・ハドソン)
- バストファージョーンズ:秋山竜次/ロバート(ジェームズ・コーデン)
- ミストフェリーズ:森崎ウィン(ローリー・デヴィッドソン)
- スキンブルシャンクス:大貫勇輔(スティーヴン・マクレイ)
- オールドデュトロノミー:大竹しのぶ(ジュディ・デンチ)
ほかに、髭男dismの藤原聡さん、山寺宏一さん、浦島りんこさん、宮野真守さん、宝田明さんなど様々な分野で活躍している方が声の吹き替えを担当しています。
ストーリー感想
以下は結末にも触れている超ネタバレオンパレードな内容になっているのでご注意を。
あらすじ(公式HPより引用)
満月が輝く夜。ロンドンの片隅のゴミ捨て場。個性豊かな“ジェリクルキャッツ”が集まってくる。
今宵は新しい人生を得ることが出来るたった一匹の猫が選ばれる特別な夜。
一生に一度、一夜だけの舞踏会の幕が開く…。
『CATS』という作品は、T.S.エリオットの詩集を基にしたミュージカルということもあって、基本的にストーリーはあってないようなものという認識です。しいて言うならば、個性的な猫たちが集まって長老のオールド・デュトロノミーに天上へ昇る資格があるのは誰かを決めてもらうお話…って感じでしょうかw。
ちなみに、劇中に出てくる「ジェリクル」とは・・・「ジュエル(宝物)」と「ミラクル(奇跡)」を合わせた原作者の造語とのこと。人間に支配されず自らの意思で自由に生きる猫のことを「ジェリクルキャッツ」と呼ぶそうな。つまりはこの映画に登場するすべての猫はこれに当てはまることになります。その中から選ばれし1匹だけが天上界へ行って生まれ変わる資格を得ることができるというわけ。
これまで何度か四季の「キャッツ」見てきたけど、そういう意味があることは今回解説を読んで初めて知りました(←ヲイっwww)。
最後にデュト様から選ばれる猫については、その理由は作品の中で明確には語られていません(映画・舞台とも共通)。が、みんなに蔑まれていた彼女が再生への道を許されるのは納得する流れではないかなと思います。
でも、基本的にあまり深く考えずに視覚で見て感じて楽しむ…というのが「キャッツ」という作品の特徴でもあるかなと。そもそも、ストーリーの殆どが猫たちによる超個性的な自己アピールパフォーマンスだったりするのでw。特にダンスへのこだわりが強い作品だなというのが個人的な「キャッツ」という作品のイメージだったりします。
ミュージカルの中でも”ストーリー重視”的な作品を好む私としては、そんなに好きな部類ではないんですよね。四季で今も上演してるし、ときどき私の推しの飯田洋輔くんも出演していますが、積極的に観に行こうという気持ちにならないのが正直なところ(1回目と2回目の間すごいブランクが開いてた 汗)。
それゆえ、好き嫌いはあるかもしれません。ダンスパフォーマンスが好きな人はハマるんじゃないかな。
それでも、音楽はすごく好きだったりします。ALWさすが!って思いますよ、ほんと。あまり乗り気じゃないけど行くかって思えるのはこの音楽があるからと言っても過言ではない。クライマックスの「ごあいさつ」のナンバーはいつも音楽が流れるだけで涙が出てしまうほど心が震えます。
と・・・ここまでは舞台版に関する個人的な意見です。やっぱりねぇ、これ、舞台で見るからこそ伝わるものがある作品だなって映画を見て感じてしまいました。そういう意味では、映画化すること自体が無謀というか・・・(苦笑)。よく企画通ったなとすらww。
舞台ですら好き嫌いが分かれるかもしれないと思っているのに、舞台を知らない人に向けてこれを突然見せたら・・・そりゃ、「なんじゃこりゃ!?」ってなるのも分かるw。
だって、”猫に擬態した人間”にしか見えない(笑)。
舞台で役者が猫の芝居をするからそれを”表現の芸術”として受け取れるのであって、映画でそのまま見せたら…キャッツを見慣れた私でさえ「ひぇ!!」となる瞬間が何度かありましたよww。動きは猫なのに、顔と手足が人間ですからね。さらにはCG技術が進歩したことによって毛並みとかめちゃめちゃリアルに再現してるものだからなおさら…
「猫妖怪人間」みたいに見えてしまう(笑)。
役者さんの技量が素晴らしいだけに、なおさらあの妙にリアルな見た目がホラーっぽく感じる気がする。そうなると、パフォーマンスよりも外見に気を取られて混乱してるうちに終わっちゃった…なんて人もいたんじゃないのかなという危惧も(苦笑)。
個人的に映画版で「ひょえ!??」となった猫は2人。
おばさん猫のジェニエニドッツ。舞台で見るとすごく可愛らしく思えるのに、映画版のジェニエニドッツはかなーりヤバイと思いましたwwww。
だらしがない昼間の姿がリアルすぎて…いや、猫だからそういう動きするの分かるんだけどねとは思うんだけど、なにせ顔と手足が人間なものだからひたすら”卑猥”に見えてしまう(汗)。ちょっと目のやり場に…みたいな感覚すら起こったほどwwww。
一番ヤバイ表現だと思ったのが、多くの人が指摘している”Gキブリ”の場面(汗)。舞台では猫たちが変装して一緒に踊るっていうシーンなのでまぁ普通に見れますが、映画はリアルサイズで表現(汗)。しかもそれがアリのように行進していて・・・ケーキ作ってる・・・!?
誰だよ、こんな表現にOK出しちゃったやつはっっwwww!!!!
いくら猫でもGが作ったケーキなんか食べたくないやろっっwwww!!!
っていうか、ジェニエニさん、Gつまんで食ってるしっっ!!!!!Gも人の顔と手足を持ってるのでなおさらホラーにしか見えんwwww。私はGが大の苦手ということもあり(舞台版ですらギリ 汗)、映画のこのシーンはただの恐怖映像としか思えず何度も目を伏せましたww。今度舞台に観に行ったとき、同じシーンでこれが過りやしないか心配で仕方ないw。
それからもう一匹ビビったのが、犯罪猫のマキャヴィティ。
舞台版では出番も少なく普段は目立たなくて、要所要所でいろんなところに怪盗ルパンみたいな出で立ちで登場してくる謎の存在でした。本性を出して登場するシーンなんかは「犬を切り裂いた」という歌詞があるくらいの凶悪な雰囲気がある猫だったりします。
セリフはなくて、高笑いの声のみ。私はそもそも舞台上には「マキャヴィティ」という猫は実は存在してなくて、神出鬼没で出てくるときにほかの猫役者が代役してるだけという認識でずっといたほどです。でもキャスト表見るとちゃんと役名と役者が記載されてあるし、マキャファンの方もいらっしゃる。
と、私としては「謎多き犯罪猫」という非情でミステリアスなイメージ強いキャラだったんですが…映画版のマキャヴィティは、けっこう出番が多くて・・・さらにはめっちゃセリフある(笑)。しかも、やってる犯罪が「マジックで猫を消す=誘拐」程度。それもやりやすいキャラを選んでるってとこもミソwww。けっこうな小者感ありww。
と、まぁ、これは私的にはそんなにヤバイとは思ってなくて。映画ならではの設定もありだなと。しかも日本語吹き替えは山寺宏一さんだし、声がたくさん聞けていいや・・・みたいに思ってました。
ヤバいと思ったのは、後半に差し掛かったあたりでした。
映画版のマキャは常にコートみたいなのを羽織っていたんですが、ナンバーを歌う時にそれを脱ぎ捨てるときが訪れました。それを見たときの衝撃は計り知れないものがあったww。
”まっぱ(素っ裸)”のアンチャンやないかwwwwww!!!
あれは猫じゃない・・・裸体のお兄さんそのもの(大事な部分は視覚化されてなくてそれだけは妙に安心したけどwww)。短い毛という設定も災いし、耳としっぽが突然変異で生えてきちゃった危ない人っていうようにしか見えなくて…正直最初にこの姿がバッと出たときは・・・見てるこちらが恥ずかしくなって目を逸らしたくらいだからねwwww。まともに歌とダンスのパフォーマンスなんか、観れなかったよ(笑)。
もう、これでなんか、色んなものが吹っ飛んだくらいのインパクトがあったww。
映画版と舞台版(劇団四季版)の違い
『CATS』という作品は基本的には”これ”と決まった定型があるわけではないそうで、年代や地域によって演出が変わったり楽曲が削られたり加わったりみたいなことがよくあるそうです。
そういう自由な作風ということで、映画と舞台の違いもちょいちょいありました。それらを比べて見る楽しみっていうのはありましたね。ちなみに私が比べられる対象は劇団四季版(新演出はまだ見てなくて知らないので大阪版まで)になります。
ただ個人的に思い入れ深い作品ではないので、気づいたところのみってことで。抜けもいくつかあると思いますがご容赦を。
まず大きな違いとして挙げられるのが、今回の映画版の主人公が「ヴィクトリア」という白いネコに設定されていることです。彼女が人間によってロンドンのゴミだめのような場所に捨てられたところからストーリーが展開していきました。
この設定が加わったことで、舞台版よりも少しストーリー性がある内容になっていたと思います。
舞台版にも「ヴィクトリア」という猫は存在しますが、どちらかというとアンサンブル的な存在で、ダンス中心に活躍という印象が強いです。ソロナンバーもありません。
舞台版で主人公設定(カテコの挨拶が最後という意味で)とされているのは、娼婦猫の「グリザベラ」です。
映画版ヴィクトリアは娼婦猫のグリザベラを常に気にしていましたが、舞台版ではその役目は主に「シラバブ」という子猫が担っています。♪メモリー♪を一緒に歌うのもシラバブで、劇団四季ではかつて「シラバブ役はオペラ座の怪人のクリスティーヌ役への登竜門的存在」なんて囁かれていたこともあるくらい、透明感のある歌声を求められています。
ゆえに、映画版ではヴィクトリアがシラバブの役割を受け継いでいる形にしたんだなと思いました。
ちなみに、1回目の♪メモリー♪をグリザベラが歌った後にヴィクトリアが歌う♪ビューティフル・ゴースト♪は映画のためにロイドウェバーが書き下ろした新曲です。もしかしたら将来的に舞台にも組み込んでくるときが訪れるかもしれません。
キャラクターとして大きな違いといえば、オールド・デュトロノミーが女性設定になったこと。舞台版では仙人みたいなおじいちゃん猫です。
バストファジョーンズはキャラ的にも舞台と類似していましたが、舞台ではこの猫を演じている役者が「アスパラガス」も演じています。つまり、一人二役なので1シーンのなかに2匹が存在することがありえないわけですw。
もう少し厳密にいうと、「グロールタイガー」と「ガス」が分かれているのも舞台ではありえません。映画では2匹それぞれ存在していましたが、劇団四季版では役者猫の「ガス」が昔演じていた役が「グロールタイガー」ということになってます。
「グロールタイガー」のナンバーに関しては地域によっては登場しないところもあるそうなので、映画の設定もありなのかなと思いました。四季版では「ガス」が昔話をしたあとに「グロールタイガー」を再現するシーンが出てきて、最後に「ガス」に戻って終わりって感じです。
ちなみに、映画版ではガスをサポートしていたのはミストフェリーズでしたが、四季版ではジェリーロラムがサポートしています。彼女は劇中劇で「グリドルボーン」という猫に扮してグロールタイガーを翻弄する役を演じています。
「ミストフェリーズ」はマジック猫ですが、映画版ではいつも失敗ばかりしてるちょっとヘタレなキャラとして設定されてるなと思いました。
四季版ではどんな技も軽々とやってのけるスマートさがあるのが特徴的。ミストにできないことはないみたいな天才マジシャン的イメージがありました。
鉄道猫の「スキンブルシャンクス」シーン、映画では実際の線路の上を猫たちが行進していき車内に入ったりする演出がありましたが、舞台では線路は出てこなくて猫たちがガラクタを集めて汽車を作るという場面があります。
この場面は舞台だと客席から手拍子が沸き起こって盛り上がります。あ、それから、舞台のスキンブルは上着のみでズボン履いてませんw。
それから、映画版ではミストフェリーズとヴィクトリアが恋仲になるような描写がありましたが、四季の舞台ではそういう設定はありません。というか、この2匹に密接な関係があるシーンは私が見た限りでは記憶にないですw。
「マンゴジェリー」と「ランペルティーザ」のナンバーは四季版では最近世界公演基準の曲調に変わったとされているようですが、今回の映画版はその変わる前のバージョンで歌われていました。
ちなみに、映画ではこのナンバーの時にヴィクトリアが一緒になって泥棒に参加してましたがw、舞台ではそういうシーンはなくマンゴとランペの2匹によるパフォーマンスとなってます。あと、2人の性格的には舞台版より映画版のほうが狡猾な印象だったかも。
泥棒猫関連でいうと、映画版で後半にマキャヴィティが自己アピールしまくってるシーンが出てきましたが…、舞台版には彼にソロナンバー的なものはなくてボンバルリーナやディミータが「あいつはヤバイ犯罪猫」と歌うスタイルです。
なので、映画でいかにもボンバやディミータ、さらにはマンゴとランペがマキャの手下的存在みたいに描かれていたことにちょっと驚きました(笑)。舞台ではマキャはあくまでも孤高の犯罪猫というイメージだったもので。
あと、映画ではマキャが次々と目を付けた猫を消して古い船に縛り付け監禁状態にしていましたが、舞台で誘拐されて消えてしまうのはオールド・デュトロノミーだけです。なんか映画見てたら、マキャのほうがよっぽど天才マジシャンぽいなと思ってしまったw。
ミストフェリーズがデュトをマジックで取り戻すという設定は舞台も映画も同じでしたが、舞台では一発で成功させていたのに対し、映画では何度やっても失敗してしまい回りの猫に励まされてやっと成功…みたいな演出になってたのが面白かった。
映画ではマキャに消された猫たちもなんとかミストの魔法で救出されてましたが、舞台ではそういう設定はないのでバストファ以外は普通にその場にいます(舞台ではバストファはソロナンバー以外出番がないですw)。
グロールタイガーの最期については、映画ではなんだかめちゃめちゃあっけなかったなという印象(汗)。そもそもグロールタイガーは舞台では劇中劇のキャラクターという位置づけなので、マキャの手先とかそういう設定ではないですw。
ただ、劇中劇でグロールタイガーは船から落ちて破滅しますから少し掠ってるのかな。舞台版のほうがドラマチックでカッコよく描かれてますけどね。
グリザベラがデュト様から選ばれて天上へ昇る場面。映画では巨大なシャンデリアに乗っていましたが、舞台では巨大なタイヤに乗って昇っていきます。
ちなみに、映画ではマキャが往生際悪くグリザベラの乗るシャンデリアにしがみついて一緒に昇ろうとして落ちてましたがww、舞台版ではそのようなシーンはありません(笑)。あくまでも昇っていくのはグリザベラのみ。そもそも舞台版のマキャはあんなに目立つキャラじゃないw。
映画のラストシーン、デュトがヴィクトリアに「あなたもジェリクルキャッツの仲間よ」みたいに優しく微笑むシーンがありましたが、舞台では「猫は犬にあらず」という♪ごあいさつ♪のナンバーで壮大に終わりカーテンコールとなります。映画ではセリフ調で歌う感じでしたが、舞台ではバリバリオペラ歌手みたいな感じで歌いあげられるのが特徴的です。ゆえに、デュト役は歌唱力に自信のある人が配役されていることが多いです。
この映画ならではのラストシーン、私は好きです。ヴィクトリアを主役に据えたからこそできた演出だったと思います。
劇団四季ミュージカル『CATS‐キャッツ‐』感想一覧
他にもちょいちょい違いはあったと思いますが、私が映画を見て感じた色々はこんなところですw。
日本語吹き替えキャストについての感想は次のページにて。