ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』大阪公演 2022.04.21 マチネ

ミュージカル『ブラッド・ブラザーズ』を観に大阪まで遠征してきました。

大阪遠征は1月の『北斗の拳』以来3か月ぶり。術後の体調もようやくほぼ安定し、ここをきっかけに観劇を増やしていけそうです。ただ、新型コロナはまだ収まったわけではなく感染者数も大阪はまだ多い印象が強い(岡山も減ってないしね…)。その影響でいくつかの舞台が公演中止や延期になる事態も続いているので、気を抜けません(汗)。

この日は大阪公演の初日。無事に幕が開いて本当に良かった…。早くこんな心配をしなくても済むような世の中になってほしいですが、そう言い続けて早2年。まだしばらく我慢の時が続きそうです。

東京、愛知、久留米公演を経てこの大阪がいよいよラスト公演とのこと。私が観劇したのはその初日でした。客足が少し伸び悩んでいるからか、急きょ平日公演時(木曜日と金曜日)に非売品のポストカードが配られることが決定。

ということで、カッキーとウエンツくんのカッコいいポストカードいただくことができました。いい記念になりました。

物販コーナーでは、パンフレットと舞台写真を購入。カッキーとウエンツくんと伊礼くんの3種類が発売されていたのですが、あまりにも素晴らしい舞台だったので終わった後結局全部お買い上げしてしまった(笑)。

ドラマシティは地下なので2階席はなく、後ろの方からもけっこう見やすい劇場です。でも今回は早めにエントリーして購入したこともあってか、サイド寄りながらもかなりの前方席!オペラグラスがなくてもガッツリ役者さんの表情を観ることができる場所で本当にラッキーでした。久しぶりにあんな良席座った気がするw。
ちなみに1列目はコロナ対策のため空席でした。

客足はというと…真ん中から後方エリアがかなり空席が目立っていた印象。とても素晴らしい舞台だったので本当に勿体なかった…。コロナの時期じゃなければもう少し入ってたんじゃないかと思うと非常に悔しい。そう思えるほど心震えるすごい作品でした。観に行けて本当に良かった。

以下、ネタバレを含んだ感想です。

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2022.04.21 マチネ公演 in シアター・ドラマシティ (大阪・梅田)

キャスト

  • ミッキー:柿澤勇人
  • エディ:ウエンツ瑛士
  • リンダ:木南晴夏
  • サミー:内田朝陽
  • ナレーター:伊礼彼方
  • ミスター・ライオンズ:鈴木壮馬
  • ミセス・ライオンズ:一路真輝
  • ミセス・ジョンストン:堀内敬子

アンサンブルキャストの皆さんも実力派揃いで安心して観ることができました。

特に印象深かったのが、ベテランの安福毅さん岡田誠さん。このお二人が小学生を演じている姿が見れる作品なんて、この『ブラッド~』くらいじゃないでしょうか。しかも、無理して子供になってるんじゃなくて本当にリアルなガキンチョに見えてしまうというのがすごい!

安福さんは1月まで上演してた「北斗の拳」で”おじいちゃん”って呼ばれるようなキャラだったんですよねw。まさか数か月でひと桁年齢のガキンチョ姿を拝見することになるとは(笑)。そういう意味でも非常に貴重なお姿を観ることができてラッキーでした。

岡田さんは何といっても2幕のめっちゃ積極的な学生さんがツボww。先生に扮したナレーターの伊礼くんに食いつかんばかりの勢いで「ハイ!ハイ!!ハイ!!!」と手を挙げて答えを言おうと必死になってるシーンはホント笑った。袖に入って姿が見えなくなった後も「はい!先生!!!」と何度も猛アピールしまくってて思わず吹き出してしまったよww。

この授業中にはさらに安福さんと岡田さんの”おっさん”生徒コンビに見せ場があるんですが、これはもう、あのお二人だから成立するっていうお遊び的なシーンでしたね(笑)。伊礼くんがボソッボソっとそれにツッコミ入れてるのもめっちゃ面白くて大阪の客席、けっこうウケてましたww。

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あらすじと概要

原作者はイギリスの劇作家・ウィリー・ラッセル。作詞・作曲、脚本も全てラッセル自身が手掛けています。

1983年のロンドン・ウエストエンドで初演されて以降、多くの国で上演されているミュージカルです。その年に上演された作品の中で優れた演劇・ミュージカルを表彰するローレンス・オリヴィエ賞(イギリスで最も権威があるとされています)では同年に作品賞に輝きました。

日本の初演は1991年。ミッキー役を柴田恭兵さん、エディ役を三田村邦彦さんが演じて大きな話題となったそうです。
ちなみに私が初めてこのミュージカルの存在を知ったのは1995年版上演時の演劇雑誌。当時まだ舞台観劇の世界に足を踏み入れたばかりの頃で、柴田恭兵さんがミュージカルを演じているということにビックリした思い出があります。エディ役は3演でそれぞれ変わったようですが、柴田さんは初演から95年まで演じられました。観に行きたかったなぁ。

2022年版の演出を担当したのは、吉田鋼太郎さん
鋼太郎さんは柴田さんと同じく日本版初演から95年までサミー役を演じられていました。ミュージカルの演出はこれが初めてとのことですが、初演を観た原作者のラッセルさんから「鋼太郎さんなら間違いない」という太鼓判をもらっているのだとか。最初はミュージカルを手掛けることを考えていなかったということですが、ご自身が『ブラッド~』に惚れ込んでいらっしゃったようでこの作品の演出を引き受けたのだそうです。

『ブラッド~』を観劇するのは2009年版の2回と2015年版の1回と合わせてこれで4度目になります。2009年版の感想(武田真治さん×岡田浩暉さん、藤岡正明くん×田代万里生くん)は感想を書いているので興味がありましたら覗いてみてください。

2015年版(ジャニーズWESTの桐山照史くん×神山智洋くんコンビ)は当時色々あってブログに記録することができませんでした(汗)。なぜこの公演を観に行ったかというと…ライオンズ氏役で渡辺正さんが出演していたから。色んな意味で、衝(笑)撃的だったのを思い出す…w。
そう言えば、今ナベさんどうされてるんだろうか…(汗)。あれ以来一度も舞台で見ていない(苦笑)。一線を退かれてしまったかなぁ。

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簡単なあらすじは以下の通り。

リヴァプール郊外で双子の男子が誕生した。双子の一人であるエドワード(ウエンツ瑛士)は裕福なライオンズ夫妻(一路真輝&鈴木壮麻)に引き取られ、もう片割れのミッキー(柿澤勇人)は、実の母親ミセス・ジョンストン(堀内敬子)と兄サミー(内田朝陽)のもとで貧しくも逞しく暮らしていた。正反対の環境で育った二人はお互いが双子であることを知らないまま、7歳で出会って意気投合し義兄弟の契りを交わす。しかしミセス・ライオンズは我が子エドワードを実の母親にとり返されることを恐れ、ライオンズ一家が転居。エドワードとミッキーは今生の別れをしたはずだった。そのうちミッキーの家が取り壊しとなり、移り住んだ先は偶然エドワードの家の近く。

15歳になった二人は再会し、固い友情を育むようなる。エドワードとミッキー、そして幼馴染みのリンダ(木南晴夏)は恋と希望に溢れた青春の日々を謳歌する。しばらくしてエドワードは大学に進学。ミッキーは工場に勤め、リンダの妊娠を機に結婚。大人として現実を生きはじめた二人の道は大きく分かれていった。不景気により失業したミッキーは、ついに犯罪に手を染め薬漬けに。議員となったエドワードはリンダを通してミッキーを支えるが、運命は二人を容赦しなかった…。

<公式HPより引用>

二卵性双生児として産まれながらも、そのうちの一人は子供を熱望していた裕福な家庭に引き取られ育てられることに。この育ちの違う双子の兄弟がお互いの事情を知らぬまま出会ってしまうことで、悲劇の運命に向かって突き進んでしまう物語。当時のイギリスの階級社会が色濃く描かれている衝撃作でもあります。

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全体感想(1)

この作品は休憩時間を合わせると約3時間なのですが、それを全く感じさせないほどものすごく惹き込まれてしまった。1幕が終わった時などは「もう休憩!?」とビックリしてしまったくらい。
過去3回見ているのでストーリーのアウトラインは頭に入っていたのですが、細かいところはけっこう忘れていることも多くて(汗)。でも観ているうちに「あぁ、そうだった」と思い出すこともあったりして、最初から最後までこの物語の世界に没頭してしまいました。『ブラッド~』ってこんなにも心震える作品だったんだと思えたのは今回が初めてだったかもしれません。

これまで見てきた時と同じく、八百屋舞台の傾斜はかなりありました。前方席から見るとその斜度がリアルに見えたので演じる役者さんたちは相当な体力をつけないと大変だろうなと思いました。

下手側に下級クラスのミッキーたち家族が住む邸宅の扉があって、上手側にエディたち上級家族が住んでいる邸宅がある。ミッキーたちの家のセットは家の扉がメインになっていて(その上にオーケストラが設置されてた)、エディたちの家のセットは主に2階の窓がメインになってるのが面白い。
つまり、下級家族は平屋建ての簡素な家で、上級家族は2階建ての奇麗なお屋敷になってる。なので、どうしたってジョンストン家とライオンズ家の階級の差を常に意識させられてしまうのです。

その二つの家のセットの間にある空間から、二つの家族の運命を知る”ナレーター”が現れるシーンが多くてこの演出もすごく印象的でした。

音楽について。全体的には感情をガーーッと表に出したようなドラマチックなナンバーが多い印象です。
特にナレーターが歌う♪テーブルの上の靴♪は聴く者の気持ちを大いに揺さぶってくる。じわじわと不幸の匂いを植え付けていって、最後にドーーンと突きつけるみたいな感じ。喪黒福造の「どーーーぉん」というセリフが浮かんでしまうくらいの衝撃がありましたw。

もう一つこの作品で印象深かったのが、同じ旋律のナンバーが表情を変えてリンクする場面場面に登場してくることです。ベースになる楽曲は1つの作品の中でみるとけっこう少なくて、リプライズものがとても多い。それだけに、”あの時のシーンはこの場面とリンクしているのか”という気づきがすごく多かったです。
同じ旋律で同じフレーズが使われるナンバーを聴いていると、ドラマの流れが頭の中にすっと入ってくるような感覚がすごくありました。これは過去観劇したときにはあまり意識しなかったことなのでとても新鮮でした。

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吉田鋼太郎さんはどちらかというとストレートプレイへの出演が多い俳優さん。ここ最近はちょいちょいミュージカルにも出演される機会が増えてきましたが、ベースはストプレにある印象が強いです。
そんな鋼太郎さんが演出のみとしてこの作品に参加されると知った時にはとても驚きました。それと同時に、いったいどんな演出で魅せてくれるのだろうと大きな興味が湧いたんですよね。チケットを取った大きなきっかけはそこでした。

観終わった後に実感したのは、まるでストレートプレイの作品を観ていたようだったということ。ミュージカルで印象に残るようなナンバーもいくつかあったんですが、どれも”歌”としてではなくて”芝居”だと感じたんですよね。セリフから歌になるシーンも実にスムーズで違和感がなかった。

ストプレを多く経験している鋼太郎さんだからこその演出だったなぁと。パンフレットのコメントの中で「ミュージカルは歌と音楽を優先させるイメージがあるのが引っかかっていた」という文言があって。この作品はミュージカルだけど”物語を伝える芝居”として魅せたいという鋼太郎さんの意思を今回強く感じたかな。
これまで見てきた『ブラッド~』のなかでも特に心が震えたのは、カンパニーの芝居力の素晴らしさがあったからなのかもしれないなと思いました。物語は悲劇に向かって突き進むけど、どの場面も熱い”生命力”に溢れていました。

ストーリーのテンポもすごくいい。拍手を挟むシーンは少ない印象でしたが客席は『ブラッド~』の世界に惹き込まれ気持ちが前のめりになっている空気を感じました。
そんななかで手拍子が自然発生して盛り上がったのが1幕ラストの♪新しい日(リプリーズ)♪。ジョンストン一家が立ち退きを通告され新天地の新しい邸宅に引っ越すことが決まるシーン。ジョンストン一家は窮屈な貧乏暮らしを脱出して新しいスタートを切れるという喜びを歌い踊る。希望に満ち溢れた数少ない明るい場面で明るい気持ちのまま休憩時間に入れましたw。

でもこれ、実は悲劇の展開への助走にもなってるんですよね…。ということで、特に印象に残った場面を少し振り返ってみようと思います。

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まず冒頭の♪オーバーチュア♪。暗転した舞台が徐々に明るくなると、そこには目に涙を浮かべながら立ち尽くしているジョンストン夫人がいる。まるで讃美歌のような美しく儚い調べを奏でるその姿に、胸が詰まる思いがこみあげてきて気が付いたら涙が零れてしまいました(涙)。まさかこの作品の冒頭シーンで涙してしまうなんて思いもしなかった!!
これ、初見の人よりも過去に何度か見ている人のほうが泣けると思うなぁ。あのジョンストン夫人の表情を見るだけで彼女が体験してしまった耐えがたい悲劇が蘇ってくるんですよ。それが見えてしまうが故に、切なくて苦しくてたまらなくなってしまった(涙)。

この作品は冒頭のシーンでナレーターが現れてラストシーンのネタバラシをするんですよね。結果を見たうえで、なぜそのような悲劇が起こったのかというドラマを一緒に手繰っていくような印象が強い。そこがこの物語の興味深いところでもあります。

悲劇の始まりは、ジョンストン夫人が3回目の妊娠をしたときにダンナに捨てられたというあの瞬間だったと思います。っていうか、彼女の男選びがかなり危なっかしかったのも問題だと思うんですけどね(苦笑)。
ただ、二人がラブラブの時代のシーンは過去の劇団四季を知る私としては「おぉ!」と思って見入ってしまいましたw。堀内敬子さんと鈴木壮麻さん(当時は芥川英司さん)の元四季コンビ最高!

生活が貧しい上に双子を妊娠していることを告げられたジョンストン夫人は、お金を稼ぐために家政婦の仕事を始める。彼女が働いた先の富豪の家がライオンズ家。そこの奥さんはお金には何不自由のない暮らしをしていて、新しく買ってきた靴も平気で机の上に乗せてしまうような世間知らずの女性。
この「新しい靴を机の上に置く」という行為が、この物語の中で”不幸”の象徴のようにずっと後を引いていくのがすごいと思う(新品の靴を机の上に置くことは「不吉」だという言い伝えがある)。

何不自由ない暮らしをしていると思えたライオンズ夫人でしたが、子供を熱望しているのにできないという大きな悩みを抱えていました。そんなところに「すぐに子供ができてしまう」というジョンストン夫人が家政婦としてやってくるという巡り合わせの悪さ…(汗)。
ジョンストン夫人もガサツなところがあって、子供ができずに悩んでいるライオンズ夫人の前で「今度は双子が生まれる予定で困ってしまう」と無神経な発言をまくしたててしまう(汗)。あれをきっかけにライオンズ夫人のジョンストン夫人を見る目が変わったような気がしたなぁ…。めっちゃ嫉妬心が芽生えたはず。これも大きな悲劇のきっかけ。

ライオンズ夫人は自分の中に芽生えた嫉妬心を隠し、ジョンストン夫人に双子が生まれたら片方を譲ってほしいと迫り無理やり納得させてしまった。口では「生活が苦しくなるだけだから、これ以上子供が増えてほしくない」なんて言ってても本心では二人とも手元に置いておきたいと思っていたジョンストン夫人。口は禍の元というか…双子を宿してることをあの時言わなければと思わずにいられなかった。

家政婦として訪れるときに会えるという条件で双子のうちの一人を泣く泣く手放したジョンストン夫人でしたが、ラオインズ夫人は彼女が子供を奪ってしまうのではないかという疑心暗鬼のようなものに囚われるようになり精神を病んでいってしまう。そしてついに大金を突き付け解雇してしまった。
この大金はミスター・ライオンズから事情を言わずに渡してもらったものだったのですが、理由も知らずに簡単に財布の中からポンと出せてしまうのにびっくりした(汗)。当時のイギリスの階級社会って本当にえげつないなぁと。

結局ジョンストン夫人はお金を受け取らず、極貧生活の中で必死に3人の子供を育てる羽目に。この、「ライオンズ家からはお金を受け取らない」という行為が後々のシーンでもジャブのように効いてくるんですよね…。

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数年が経過してもジョンストン家は極貧生活のまま。残った双子のうちの一人・ミッキーはもうすぐ8歳を迎えようとする7歳になっていた。一方のライオンズ家に引き取られていた双子の片割れのエディは優等生のお坊ちゃまに成長。自分の出自を知らないまま両親の溺愛を受け真っ直ぐに育っている。

全く環境の違う世界で暮らしていた二人でしたが、結末を知るナレーターに導かれるように出会い、意気投合し惹かれ合っていく。普通に考えたら、お金持ちのお坊ちゃまが極貧世界のボロボロな少年と友達になりたいと切望することなんてないように思ってしまうのですが…、エディはミッキーのことが出会った瞬間から大好きで猛烈に惹かれていきました。これが、”血の繋がり”故の運命だったのかなぁと。
ミッキーは同じ生年月日だというエディに運命的なものを感じて「義兄弟の誓い」を立てることにしました。お互い少し血をにじませた状態でがっちりと組み合わせた手…。双子の兄弟であることを知らぬまま、かけがえのない存在として契りを結んでしまうところに不幸の予感を感じてしまった。

これが同じ身分の少年同士だったならあんな悲劇は起こらなかったかもしれないんだよなぁ…。天と地ほどの階級の差の厳しさを、幼い二人はこの時知る由もなかったのです。無邪気で微笑ましいような場面でも、それが過ってとても切なくなってしまった。
このように、一見するととても楽しい子供時代に想えるシーンでも随所に”不幸の種”が撒かれていると感じられるところが多くて、それがこの作品をよりドラマチックにしていたと思います。

ちなみに1幕はほぼ少年時代のみの展開なのですが、子役ではなく本役の大人俳優の皆さんが最初からガキンチョを熱演しているのも大きな特徴の一つです。しかも、無理に子供に近づけてる感じじゃなくて、本当にリアルに”無邪気な”子供たちに見えるんですよね。お稽古場で鋼太郎さんが「本気で遊べ~!」と叫んで楽しそうに煽っている姿が目に浮かぶような気がしましたw。
これは過去の観劇でも驚いたことですが、大人の役者があそこまで”子供”になり切るとは…ほんと凄いなと思わずにいられません。

ガキンチョたちの場面で特に印象深いのは♪キッズゲーム♪。このゲームというのが、おもちゃの武器をぶっ放しまくって相手を倒していくというけっこうハード系のやつw。もちろん弾は入っていないんだけど、拳銃系のものだけじゃなくてライフルとかバズーカー砲みたいなの持ってる子供もいるw。まぁ、あのぐらいの年齢の子供はそういう武器に憧れるっていうの多いかもしれないですけどね。

このシーンで子供たちは全力で駆け回って遊びまくるわけで、役者さんたちの肺活量かなりヤバい状態だったと思います。八百屋舞台もきついだろうしね。
銃で撃たれた役の子供はその場に倒れることになっているんだけど、その時に指をクロスしていれば数秒で復活できるというルールになっている。なのでみんな銃撃戦やってやられるたびに「指をクロスしてるから大丈夫」と歌ってけろっと復活しまくるのです(笑)。武器のレベルが上がると倒れる人数も増えていくわけですが、常に自分が一番じゃないと気が済まない超悪ガキのミッキーの兄・サミーが倒されることに腹を立てて狂気じみていくシーンはちょっと怖さを感じたかも。

でもこの場面も後半への伏線になってるんですよね…。ミッキーとエディの不吉な未来を予見しているかのような感覚にさせられてしまう。「指をクロス」していたとしても”復活”できない時が訪れるのだという暗示を見せられているようで…。

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子供時代でもう一つ印象に残ったのが、二人の”母親”の”息子”と対面する場面です。

ライオンズ夫人はエディがジョンストン夫人の息子のミッキーと「義兄弟の契り」を交わすほどの親友同士になったと知り大きく動揺してしまう。一度は遠ざけたはずなのに、”息子”の方から向こう側と接触してしまうことになるなんてねぇ…。
再び自分の”息子”が奪われてしまうかもしれないという恐怖に襲われてしまったライオンズ夫人はどんどん正気を失い狂気じみていくように。この狂っていく様子がホラーのように恐ろしくも感じたわけですが、それと同時に哀しい人だなとも思えてしまった。

あんなに無理を言って引き取ったのに、そのことが逆に彼女自身の心を追い詰めていく結果になるとはなんという皮肉…。

そんな夫人の様子を心配した夫は、彼女の要望通りに今の町から引っ越しをすることを決めざるを得ませんでした。幼いエディは訳もわからないまま親友と引き離される結果となってしまい悲しみに暮れてしまう。
そんな彼を、ジョンストン夫人は優しく抱きしめてしまう。最初の頃はライオンズ夫人のことが過りエディを遠ざけるような態度をとっていましたが、「ここを離れたくない」と涙する姿に母性があふれ出して耐えきれなくなってしまったんだろうなと…。この場面はものすごくグッとくるものがありました(涙)。断腸の思いで手放してしまったけれど…彼女にとって、やっぱりエディは愛しい”我が子”なんですよね…。

そして、エディが町を去る日。挨拶にやってきた彼に「秘密にしてね」と告げそっとロケットペンダントを手渡しました。その中には、まだ出会う前の幼いミッキーと母親のジョンストン夫人の写真が入っていた…。たとえ遠くへ行くことになっても、双子の片割れであるミッキーや母親の自分のことを忘れてほしくないという…ジョンストン夫人最後の抵抗のようにも感じられてとても切なかったです。

ところが、それからしばらく後にジョンストン一家も移転を余儀なくされることに。しかも、新天地として与えられた場所はまたしてもライオンズ一家の近所だったというね(汗)。
こういう予定調和的な展開も、この物語の中では違和感に思うことはありません。その大きな理由の一つに”ナレーター”の存在があります。彼は物語の語り部であると同時に、冒頭で見せた悲劇へと周りを導いていく役割も担っていると思うんですよね。ジョンストン家もライオンズ家も、彼の手の内で踊らされている感がすごくありました。

少しと言いつつやっぱり長くなったので続きは次のページにて。

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