【ミュージカル映画】『レ・ミゼラブル』 舞台版との比較感想

今回はどうしても気になってしまった舞台版との違いについてちょっと書いてみようと思います。あ、舞台50回近く見てるって書きましたが、数えてみたら46回くらいでしたw。なので、50回弱に変更しておきます(笑)。短縮バージョンになってなかったらたぶん通算3ケタ近くいってたかもしれない。

私が好きだった旋律とフレーズが入ったレミゼCD(赤・青)…。

97年に初めてレミゼの舞台を観に行ったとき、予習で原作本を読み上のCDも購入して準備万端だったのを思い出す。今から考えると、よくあの原作本をリタイアせずに読んだなと思いますw。が、けっこう斜め読みだったので正直ほとんど細かいところは覚えていません(爆)。
今回の映画は舞台では描かれなかった余白部分を原作エピソードで繋いでる部分があるとのことなんですけど…そんな文章があったんだ、みたいな。なので、比較すると言っても私の感想は舞台中心であることをご了承ください(汗)。

以下、舞台と映画を比較した記事になりますので・・・ネタバレ満載です。しかも、ものすごく長いです(爆)。ご注意ください。

 

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プロローグ/囚人の歌
映画では巨大な船でガンガン水をかぶりながら囚人たちが漕いでましたが、これはたぶん新演出を意識したものですよね。たしか新演出では船の上の囚人になるという情報があったので。
私がこれまで見てきた舞台版では、囚人はどこぞの畑みたいなところで土掘りさせられてました。前と後ろの2列に並ばされて後ろの人は鍬でヘロヘロになりながら耕していて、前の人は手で掘ってた。ちなみにこの囚人の中にマリウス役とアンジョルラス役の人が混じってて(ソロを歌わない囚人役)、その二人の様子を見るのが観劇の楽しみの一つだったりしましたw。新演出でもいるのかな。

仮釈放~司教
仮釈放になったバルジャンが放浪するシーンは映画のほうが見た目惨め度がありますね。舞台ではバルジャンの惨めさを際立たせるために安い宿屋に泊っても追い出されたり(喧嘩吹っかけて追い出される)、安い賃金で働かされたり(ここも喧嘩して辞めさせられてる)散々な目に遭ってます。

そこへ司教様が登場。映画に出てきた司教様、どこかで見たことあると思ったら…初代ジャン・バルジャンを舞台で演じていたコルム・ウィルキンソンさんだった!これは嬉しいサプライズでした。司教様って舞台でもけっこう重要な役なんですよね。映画では食事をしたあとにこっそりと教会のものを盗んで逃げていたバルジャン。舞台では盗む前に「食えるだけ食わせてくれた、銀の食器だこれは高い」と心情を歌い上げながら盗んで逃亡してます。で、すぐに捕まっちゃうんだけど、映画では捕まる現場までは出てきませんでしたね。
その後司教様が「銀の燭台忘れてますよ」と持ってきてバルジャンの罪を赦すのですが、このシーンは映画のほうがグッとくるものがありました。舞台だと背景がとても殺風景なのでね(汗)。

バルジャンの独白
このシーンは旧演出舞台だと背景が全くない真っ暗なところで歌われてました。それ故にバルジャンの心の叫びのようなものが痛いほど伝わってきて泣けたんですよね。しかし映画ではそこに背景がある。教会の中で自分の罪と向かい合い涙を流していたので、あのあと彼が教会に招き入れられたんだということが分かります。
舞台ではバルジャンがどのように改心して市長にまでなったのかが謎に思えるのですが、映画だと教会で数年間修業を積んで新しいバルジャンに生まれ変わったんだろうなというのが想像できますね。

一日の終わりに
時が流れ、パリでうごめく人々が出てくるわけですが…ここは舞台よりも映画のほうが生活に逼迫している様が伝わります。舞台だと困窮してる人々が流れでファンティーヌの工場の従業員になることもあって、あまりボロボロじゃなかったんですよねw。新演出ではどう表現されるのか分かりませんが…。ちなみに、この工場の従業員の中にマリウス役とアンジョルラス役とコゼット役の人とエポニーヌ役の人が入ってます。コゼット役の人はファンティーヌにかなり冷たい態度を取っているのがなかなか面白かったな。将来の母親なのにって何度も思ったものですw。それにしても映画に出てくるファクトリーガールも嫌な奴でしたなぁ(笑)。でもファンティーヌとは取っ組み合いのけんかまではいかなかったか。舞台では壮絶な取っ組み合いがあったんですけどねw。

そのあと市長になったバルジャンが登場して場を収めようとしますが、そっけなく立ち去ってしまう。この行動は舞台も映画も同じなんですけど、映画ではなぜバルジャンがその場をすぐに離れてしまったのかが描かれていて興味深かったです。工場の外からジャベールの姿が見えたからだったんですね。舞台だとなぜあんなそっけないのかよく分からなかったんですが(汗)映画を見て納得しました。そのあとジャベールと市長として対面するバルジャンのシーンがありましたが、ここは映画のみのものだったと思います。

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ラブリィ・レイディ~夢破れて
舞台と映画の大きな違いの一つがこのシーンですね。工場を追い出されたファンティーヌは映画だとすぐに波止場へ行き転落人生まっしぐらとなります。髪の毛を売るシーンはかなり衝撃的…。舞台だと後ろに隠れて鬘を取り換えるって感じですが、映画だと本当にザクザク老婆が荒っぽく髪の毛を切っていくわけで…ファンティーヌの哀れさが際立ってました。さらには歯を抜かれるシーンも…。あれは舞台には出てこないのでなんだか見ていてとてもショックだったな。

そしてついには娼婦へと身をを落とすファンティーヌ。絶望の中で最初の客を取った後に♪夢破れて♪が歌われてました。実はこのナンバー、舞台ではファンティーヌが工場を追い出されてからすぐに歌われるんです。なので比較的美しいナンバーに聞こえてくる。ところが、映画だとどん底まで落ちてしまった状態で過去を回想するように歌われるので痛々しいことこの上ありません(涙)。舞台よりも映画のほうが私は泣けました。

ファンティーヌの逮捕~馬車の暴走
嫌味な客に食って掛かり逮捕されそうになるファンティーヌをバルジャンは助けますが、舞台よりも映画のほうがジャベールを意識している様子でしたね。それでもファンティーヌを助けるわけですが、彼女を抱きかかえたときにコゼットのことを聞きだしてました。舞台だとこの場ではコゼットのことについてあまり関心がないように見えるバルジャンですが、映画だとかなり詳細にコゼットのことを知ろうとしているのが伝わります。この後バルジャンは森でコゼットを発見しますが、なぜその場所に行ったのかが映画だと分かりやすくなっていますね。

暴走する馬車におしつぶされたフォーシュルバンを助けるシーン。舞台だと短縮される前はけっこうじっくりやってたんですけど短縮されてしまってからは潰された人をバルジャンが助けるっていうだけの場面になってて(汗)。短縮前には「あれはフォーシュルバン」って名前も言ってたのにね。ちなみに助けられたフォーシュルバンは舞台では「あぁ、市長、ありがとう、あなたは聖者だ」って歌うんですが映画ではカットされてました。
この馬車事件でジャベールは市長をバルジャンではと疑いますが、そののちにバルジャンが逮捕されたという報を聞いて市長に謝罪します。この流れは基本的に同じ。

Who am I~裁き
自分の身代わりが逮捕されたことを知ったバルジャンは葛藤します。舞台ではこのシーンも背景が真っ黒の中で展開されるのでバルジャンの心の迷いがより浮き出るように感じられます。映画では何やら荷物の準備をしたりしながら葛藤してましたね。そうすることで、最終的に市長の座を捨ててジャン・バルジャンとして生きようという覚悟が感じられました。

そしてそのまま裁判所へ行くわけですが…自分が囚人番号「24601」であることを高らかに歌い上げたとき、映画では皆何が起こってるのか分からなくてキョトンとした雰囲気になってたのが面白かった。「市長さん、あなたどうかしてしまったのではないですか」と冷静にその場から退席させてたしw。舞台だとものすごい大混乱になってましたから、このあたりの描き方が違うなぁと思いました。ちなみに、バルジャンの囚人番号は日本では「24653」になってます。英語読みと韻を合わせたんですよね。あと裁判長役はアンジョルラス役の人が、裁判員役はマリウス役の人が務めてます。