世界のミュージカルスターが集結した『ジーザス・クライスト・スーパースター in コンサート』の大阪公演を観に遠征してきました!
2年前、東京のシアターオーブで4日間限定で行われたプレミアもののJCSコンサート。ラミンのユダがどーーーしても見たくて東京へ遠征したのが懐かしい。あの時、”また東京だけなのか…”と悔しい気持ちも抱いたわけですが、2年ぶりの再演は大阪公演もあるというではないですか(しかも2年前にせめて2日間だけでも…と思ったとおりになったw)!!これは行くしかない!!と前売りから気合入れてチケットゲットいたしましたw。
※2年前のJCSコンレポ↓
ところが、世の中はコロナ収束していくどころか悪化の一途をたどっている状況。東京公演も後半に差し掛かったところで一度中止を余儀なくされていたので、正直気が気じゃなかったです(汗)。さらには大阪が緊急事態宣言下に突入するというタイミングでもありましたので間際までハラハラし通し。それだけに、開幕が確定したと知った時には正直とてもホッとしました。
とはいえ、私も未だにワクチン打てずの身の上だったので遠征にはものすごく気を遣います。とにかくできる対策はやっての大阪入りとなりました。
フェスティバルホールに来るのは2年前のレミゼ公演以来!
入口入ってすぐの赤い大階段が懐かしい。この光景見るだけでも気分が高揚します。
チケット裏に連絡先を記入、検温、そして自分でチケット半券切り離して入場し、消毒。感染対策もきっちりされていましたし、話し声も少なめで静か。皆さんとても感染防止に対する意識が高かったと思います。
2年前の台風の時も非常に混乱した世の中での開幕となってしまいましたが、今回も新型コロナ禍の状況悪化というなかでの公演…。海外キャストやスタッフの皆様には、そんな中でも来日して素晴らしいステージを届けてくださり(しかも今回は隔離期間もありましたよね…)感謝の言葉しかありません。日本公演を実現してくださり、本当にありがとうございました。
以下、JCSのネタバレ内容を含むコンサートの感想です。
2021.07.31公演 in フェスティバルホール(大阪)
出演者
- ジーザス・クライスト:マイケル・K・リー
- イスカリオテのユダ:ラミン・カリムルー
- マグダラのマリア:セリンダ・シューンマッカー
- ヘロデ王:藤岡正明
- カヤパ:宮原浩暢(LE VELVETS)
- ペテロ:テリー・リアン
- ピラト:ロベール・マリアン
- シモン:柿澤勇人
- アンナス:アーロン・ウォルポール
<アンサンブルアーティスト>
福田えり、湊陽奈、則松亜海、鈴木さあや、髙橋莉瑚、ジャラン・ミューズ、大音智海、大塚たかし、仙名立宗、染谷洸太
2年前に引き続きの出演は、ラミン、テリー、ロベール、アーロンの4人。他の皆さんは新キャストということになりました。
アンサンブルキャストは全員が初。今回はコロナ禍の影響もあってか客席降りの演出がなくなりましたが、その分、舞台の上でパワーあふれるパフォーマンスを魅せてくれていました。驚くのは、世界トップのミュージカルスターとの共演にも拘らず、皆さんがそこに交じっても全く違和感なく堂々と渡り合っていたことです。歌、芝居、体のキレなど、「ここは日本なのか!?」と思うほど迫力ある存在感で魅了。
『ジーザス・クライスト・スーパースター』という作品は、アンサンブルキャストも非常に大切な存在です。民衆たちがジーザスという一人の青年を熱狂的に祭り上げながらも、その果てに絶望し逆に彼を追い詰めていく残虐さはこの物語のなかで重要な要素。ストーリーを動かしていくのに、アンサンブルの存在は欠かせません。
今回見て感動したのは、日本のアンサンブルキャストの皆さんが(唯一の海外アンサンブルさんのジャランさん含め)世界のトップスターの役者さんたちの気持ちを見事に動かしドラマを作っていたことでした。非常にハイレベルなパフォーマンスだったと思います。
個人的には、大塚たかしさんの存在感がすごく光ってたなぁと思いました。特に♪The Temple♪での力こぶポーズはコミカルで思わず吹き出してしまうほど印象的でしたw。
概要とあらすじ
『ジーザス・クライスト・スーパースター』(以下、JCS)は、イエス・キリストの最後の7日間を描いたオリジナルロックミュージカルです。作詞はティム・ライス、作曲はアンドリュー・ロイド・ウェバー。1971年にブロードウェイで初演され大ヒット。当時まだ20代だったロイド・ウェバーはこの作品でブロードウェイデビューし大きな名声を得ました。
1973年には映画化。日本でも12月に上映され大ヒットしました。
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映画版は舞台版と世界観がかなり違うのでテレビで初めて見たときに面喰った思い出がありますw。それも含めた全部入りみたいなディスクが発売中なので興味がある方はチェックしてみては。
日本では劇団四季が上演権を取得し、1973年の日本公演初演(当時のタイトルはロックオペラ『イエス・キリスト=スーパースター』)以来、何度も再演を重ねています。ちなみに、この初演で市村正親さんがヘロデ王役として大抜擢され舞台デビューしました。また、市村さんの盟友でもある鹿賀丈史さんも初代ジーザス役として舞台デビューされています。
その後四季は独自の演出を確立。1976年には『ジーザス・クライスト・スーパースター』エルサレムバージョン、1987年には『ジーザス・クライスト・スーパースター』ジャポネスクバージョンが誕生しました。
特にジャポネスクは歌舞伎のような白塗りメイクをしたり、大八車を多用したり、和楽器のアレンジをしたりとかなりのチャレンジをしていてとても面白いです。個人的にもジャポネスクはかなり好みなので、時期がきたら是非再演してほしいところ。
簡単なあらすじは以下の通り。
舞台は約2000年前のイスラエル。
ひとりの人間として、神や民衆との間で苦悩するジーザス(イエス・キリスト)と、ジーザスに仕える弟子の一人でありながら、裏切り者として歴史にその名を刻むことになるイスカリオテのユダ。民衆の間で人気を高めるジーザスに対し危険を示唆するが、ユダの心配をよそに民衆はジーザスを崇拝していく。ユダヤ教の大祭司カヤパは、大衆の支持を集めるジーザスに脅威を感じ、他の祭司たちとジーザスを死刑にしようと企てる。そして自分の忠告を聞かないジーザスに思い悩むユダは、祭司たちの策略により、とうとうジーザスを裏切り、祭司たちに居場所を教える。
神の子としての自分と、人間としての自分との狭間で思い悩むジーザス。遂には弟子や民衆の裏切りによって捕えられ、十字架にかけられたジーザスは、自分の運命に対する神の答えを問いただしながら息絶えるのであった…。
<公式HPより引用>
コンサートバージョンは当然のことながらすべて英語での上演です。劇場の上手と下手に字幕が流れるので、初めて見る方でもわかるようになっていました。
ただ、劇団四季版とは全くの別物だと思ったほうがいいかも。ストーリーは本舞台を観たほうが分かりやすいと思います。コンサートでは光のみで表現されていたシーンも何が起こっているのか納得できるかと。ただ、迫力的にいうとコンサートのほうが全速力のパワーを浴びる感覚で圧倒されるので四季版を直後に見たら物足りなく思う人も少なくないんじゃないかという危惧も。同じ時期に上演してなくてよかったと思ったほど(汗)。
四季版には物語として繊細に紡いできた魅力というものもありますので、まだ見たことがない方は数年後に上演が決まったらぜひ劇場に足を運んでほしいと思います。
ちなみに、2018年に大阪公演を観劇した折のイベントレポがあるので、四季のJCSについて興味がある方はよろしければチェックしてみてください。
全体感想
鉄骨を組んだシンプルだけど立体的で巨大なセットは2年前とほぼ同じ。面白いのは、ミュージシャンたちが組み込まれた鉄骨のスペースにバラバラに配置されていることです。ふつうオーケストラは1カ所に集まるものですが、JCSはロック色がとても強い作品ということもあってかこういう配置も成立してしまうものだなぁと改めて思いました。
このコンサートの大きな魅力は、キャストが本編舞台を演じているかのように動いたり感情を剥き出しにしたりしてきちんと”JCS”としてのストーリーを魅せていることだと思います。抽象的に見える演出表現もありますが、初めて見る人にもおおむね内容が伝わるように構成されているところが面白い。
さらに、生演奏っていうのもいいんですよねぇ!四季のJCSは全て録音の音楽なので、コンサートとはいえ生きた楽器の音で観ることができるというのは大きな魅力です。たとえちょっと音がズレたかなって思うところがあっても逆に臨場感を感じたし、ライブ感を楽しめるのはとても嬉しい。フェスティバルホールは音響もいいので、全身に音楽を浴びるような感覚を楽しめたのもよかった。
そして何より、アメリカやロンドンなどの舞台の最前線で立っているスターの皆さんの歌と芝居を生で体感できることの喜びは何物にも代えがたいものでした。何がすごいって、感情や歌声が確実に舞台の隅々までしっかりと届いていることなんですよね。
たま~に日本の役者さんで「歌は上手いかもしれないけど声や感情が心に届いてこない」と感じる人もいるんですが、世界のスター役者さんたちはどんなに広い劇場でも確実に隅々にまで響き渡る圧倒的な声量と表現力を届けてくれます。それを浴びたときの幸福感は言葉にできないほど。日本には日本の良さもありますが、劇場全体に確実に届くあのパワーを出せる役者さんはもっと増えてほしいなと思いました。
ただひとつだけ…、今回の観劇に当たり大きな難点がありました(苦笑)。それは…座席問題w。
巨大鉄骨を組みこんだシンプルだけどダイナミックなセット…というのはいいんですけど、指揮者の方が上手側の2階部分スペースっていう配置なんですよね。なので、指揮棒を振っていなければ出演者の一人に見えてしまうくらい目立ったところにいらっしゃる。
それはそれでとても面白い魅せ方だとは思うんですが…、マチネに観劇した時の私の座席がかなりの上手サイドだったもので、鉄骨の2階中央部分にキャストが立つと指揮者の方がちょうどそれと丸被りする形になってしまい声しか聞こえてこなかったということがちょいちょいww。さらには鉄骨部分にもかなり視界を遮られ、隙間の窓からキャストを覗くような感覚になることも(笑)。
座席の前に座高の大きな人が座ってしまい舞台の一部が見えづらくなる…なんてことは時々遭遇するわけですが、今回は舞台の上のセットにかなり遮られるところが多くストレスを抱えてしまう結果に(汗)。サイド席は「見切れあり」っていう表示は必要だったんじゃないかなと思ってしまいました。
もう、2幕中盤すぎあたりからは物語よりも「当日券売り場まだあるかな」っていう気持ちが沸き起こってしまいなおさら集中できないという悪循環に(汗汗)。
ということで、本当ならばマチネのみの観劇だったわけですが…、あまりにも視覚的にストレスを感じてしまったので、急遽、ソワレの当日券も購入ww。リピーターチケット扱いで値段もお得だったし、少し後方位置にはなりましたがだいぶ中央寄りで観ることができてラッキーでした。
マチネはかなり前方ではあったのですが、サイド席からの風景がまさかあんなに見づらいとは思わなかった(苦笑)。
以下、印象に残ったシーンについていくつか。
オーバーチュアはやっぱり何度聴いてもテンションが上がります!
たしか2年前の公演の時にはキャストが通路から飛び出してきて一気に客席のボルテージを上げるという演出だったと思うのですが、今回はコロナ禍なのでその演出ができず舞台中央からの手拍子カモン!的なものに変わりました。個人的には、そのほうが素直に乗りやすくてよかった(2年前はちょっとビビって戸惑った私は日本人的な人間なのかもですがww)。
さらに、登場人物が冒頭で全員集合して各配置について行くのもカッコいい!これはコンサートならではな華々しいオープニングだと思います。後半1発勝負のヘロデ王役の藤岡くんも、オープニングから出番までずーーっとステージ上(上手の一番てっぺん)にいるってところがまた面白いw。
それから、ラミン演じるユダが使徒の仲間たちと軽くハグし合って友好ムード作ってるのも印象的でした。本舞台では決して見られないシーンなのであれはとても貴重。これもコンサートならではの良さかと。
ユダが民衆の中心にいるジーザスに向かって「チヤホヤされて図に乗るなんてどうかしてるぞ」と忠告しながら歌う♪Heaven on Their Minds♪。日本語版で聞くよりもユダの切実なジーザスへのヒリヒリした想いが伝わってきて心が痛くなります。ラミンの圧倒的な歌唱力がすごい説得力あるんですよね。とにかくジーザスを自分のほうに向けたいという、ある種、片想いしている男のもがきみたいなものを感じさせてくれました。
そんなユダの声に耳を傾けず、「What's The Buzz(これから何が起こるのですか)!?」と騒ぎ立てる民衆や弟子たちに意味深な言葉を発して翻弄していくジーザス(本人は翻弄してるつもりはないんですが)。ここのジーザスと民衆たちの熱量も本当にすごかった。
そして、周りからまくし立てられて疲れが見えたジーザスを香油で癒そうとするマリアが登場。ちなみにここに登場する”マリア”はジーザスの産みの親である聖母マリアとは全くの別人です。かつては娼婦だったという過去があり、ジーザスの恋人未満的な存在の女性。ユダが彼女を否定した時にジーザスが「一度も罪を犯したことのない人間しか彼女に石を投げる資格はない」と言い放つシーンは、ヨハネの福音書の一文から取られています(場面的には舞台版とだいぶ印象が違いますが)。
このジーザスとマリアの場面♪Everything's Alright♪ですが、2年前に見たときにあまりにも二人の関係が「男と女」を匂わせててビックリした思い出がこびりついててww、今回もその路線なのだろうかとちょっと身構えてしまいました(笑)。
が、今回はどちらかというとオーソドックスに四季の解釈に寄り添った雰囲気になっていてホッと一安心ww。前回のマリアのほうが娼婦寄りなキャラクターだったのに対し、今公演ではジーザスを癒す母性をもったキャラクターに変更されている印象が強かったです。
あまりにも民衆の注目を浴びるジーザスの存在に危機感を持ったカヤパとアンナスが歌う♪This Jesus Must Die♪。
このシーン、宮原カヤパの美しい低音がとても心地よく響いてきて思わずうっとりしてしまったのですが、マチネでは殆どその姿が見えなかったので(ちょうど指揮者と丸被りww)、今回の演出ではカヤパ様は”天の声”のみの登場にしたのかしら?と本気で信じてしまいました(笑)。ソワレに見直した時にちゃんと舞台上に立ってたのを見て、リピーターチケット購入しておいてよかったと心底思いましたねww。
民衆や弟子たちのジーザス賛歌が頂点に達した瞬間の場面♪Hosanna♪は、本舞台でも盛り上がりますが、コンサート版だとさらにテンションがワンランクアップしますね!舞台上からはアンサンブルの皆さんが客席に向かって手を左右に振る仕草を求めていて、私も思わず一緒に心のなかで「ホーサナ、ヘイサナ♪」と歌いながら手を振りまくってきました!ちょうど横の席に人がいなかったのも幸いして気持ちよく振れて楽しかった!!この一体感は、やはり生の舞台でなければ味わえませんね。
ここのナンバー、ジーザスがちょうど客席のほうを見据えながら歌うシーンが多いので、劇場全体がジーザスを称えた雰囲気になっていく臨場感があります。
ちなみに、本舞台ではカヤパの側近であるパリサイ人が「ジーザスは死ね!」と歌い終わった後にその場に残って民衆に交じり♪Hosanna♪を一緒に歌っています。まさにスパイの職人芸といった感じで面白いので、再演された時にはぜひ注目してほしいポイントかもw。
さらに民衆たちのテンションを爆上げしていく役割をするのが、使徒のシモンです。彼が歌う♪Simon Zealotes♪は本舞台でも見ている側のテンションが一気に加速していく感覚になるのですが、コンサート版のフルスロットルな熱さがたまらなくアガります!!!
シモンはジーザスの熱狂的大ファンで、ユダとは違う路線から彼のことを全力で愛し抜いている感じ。縦横無尽に動きながら惜しみなくジーザスへの敬愛の念を表に爆発させながら歌う姿はまさに圧巻です!2年前は海宝くんが演じてましたが、今回はカッキーこと柿澤くん。これまで見たこともないようなアグレッシブな彼の姿を見て正直びっくりしました!
そんな熱狂を目の当たりにしたジーザスは、自分の先の運命が見えてしまっているが故に彼らの期待にもう応えられなくなってしまっていることを嘆きます。
そしてもう一人、先の予知夢を見て不安に駆られるのがピラト。ここの歌に出てくる光景がほぼそのまま現実のものとなるわけで…、それを知ったうえで見るとなんて残酷なシーンなんだろうなと思ってしまいます。
静けさの後に、民衆たちの欲深さが色濃く出るシーンが♪The Temple♪。
2年前に観たときには客席通路でアンサンブルさんたちが物売りに扮してのパフォーマンスをしていましたが、今回はそれができないので舞台上に横一列に並んで客席に「これ安いよ!買ってかない?」みたいにアピールしまくる演出になってました。ここは本舞台ではステージ真ん中を挟んで縦2列に民衆が並んで物売りしてる演出なんですが、コンサート版だと初めて見る人はちょっと分かりづらかったかもしれません。
ジーザスは彼らの行為を目撃して恐ろしい形相で「今すぐやめて出てけ!!」と追い払いますが、彼は自分の祈りの場が欲にまみれた人間に汚されたことに対して激しい怒りを覚えているんですよね。神聖な場所を土足で踏み込まれた、といった感じでしょうか。ここで初めて怒りの感情を顕わにするジーザスに「人間らしさ」を感じ、ちょっと安心する場面でもあります。が、ここをきっかけに彼の転落が始まっていくのでそれはそれで切ないんですけど…。
商売人を追い払った後、すぐに色んな所から「傷ついた自分を診てほしい」と人々が湧き出てくる。コンサート版ではセットの様々な場所からジーザスに向けて懇願する人が現れるっていう演出になっていましたが、個人的にはちょっと物足りない。ここは一斉にジーザスに大勢の人がまとわりついていく舞台版のほうが見ていて迫力があると思います。
コンサート版では四方を”傷ついた人々”に囲われながら力を発揮できずに苦しむジーザスが、彼らに体を掴まれているかのようなリアクションをする形になっていました。「自分で何とかしろ!!(舞台版では”自分で治せ”)」と叫んで彼らを振りほどいてしまうシーンも再現されていますが、実際にはまとわりつかれていないのでちょっと迫力不足に見えてしまった。
既に不思議な力の効力を発揮できなくなり悩み苦しむジーザスをマリアが♪Everything's Alright♪を歌いながら慰めにやって来る。このシーンの二人はまるで恋人同士に昇華したような雰囲気があってとても素敵でした。
傷ついたジーザスを目の当たりにして気持ちが昂ったマリアが歌う♪I Don't Know How to Love Him♪。このナンバーは、かつてミュージカル女優を目指す人がオーディションで歌うナンバーの上位に入ると言われていたほどの名曲です。四季版では「私はイエスが分からない」ってタイトルになってます。
これまでもほのかな恋心をジーザスに抱いてきたマリアが、傷つき弱った彼を見て「私は彼のことを愛しているのだ」と確信する優しい響きのバラードが素敵。舞台版で見るよりもさらにマリアのジーザスへの恋愛感情がリアルに感じられるのも印象的です。
2年前に観たときはここの訳詞が大人指定に入っちゃうんじゃない!?って思うほどの情熱的な内容でかなりビビッてしまったのですが(笑)、今回は「私はあの人のことを愛していたんだわ」っていう気づき見たいな部分がクローズアップされている雰囲気で、だいぶまろやかな内容になってホッとしましたww。
そんなしっとりした雰囲気を打ち破るように響くロックなギターソロがまた刺激的!!マチネもソワレもかなりノリノリな弾きっぷりでオケ全体もテンションのギアがワンランク上がったように感じました。
そんな音楽に導かれて展開されるのが、ユダの裏切りです。カヤパとアンナスのもとを訪れたユダが「ここに来るまでにどれだけ迷ったか分かってほしい」と歌う♪Damned for All Time♪。何度か行ったり来たりを繰り返しながらカヤパたちの元へ吸い寄せられてしまうユダがとても哀しかった…。自分が責められる未来を予見しながらも、ジーザスの行いがどうしても理解できなかったユダの哀しさをラミンはとても繊細に表現していました。
本舞台ではなかなか口を割ろうとしないユダに褒美の金をカヤパたちが放り投げ渡す場面がありますが、コンサートでは歌のみで表現。それゆえ、這いつくばったままでの密告ではなく、カヤパとアンナスに囲まれ逃げ場を失っての密告といった雰囲気でした。それはそれでまた切なかった…。
しかもここ、密告の意思を最後まで感じられなかったんですよね。ジーザスを愛するあまりの行動というのは一貫してて、密告についてもユダ自身が「無」の状態になった時に突いて出てしまった言葉…みたいに思えて仕方なかったです。「本当はこんなことしたくないんだ」という彼の悲痛な心の叫びがなおさらリアルに迫ってきました。
本舞台では休憩なしでこのまま一気に物語は佳境へと進んでいきますが、コンサートはユダが裏切ってしまったところで1幕終わりとなります。
2幕は弟子たちとジーザスが最後の晩餐を囲む♪The Last Supper♪シーンからスタート。本舞台ではユダの裏切りシーンの直後にこの場面へと繋がっているので、休憩挟んでから見るとちょっと奇妙な気持ちになってしまいますww。
ジーザスは食事をしながら「パンは私の体、ワインは私の血である」という言葉を残し、その意味がよく分からない弟子たちはあまり深く受け止めていません。本舞台では食事の最初は落ち着いた雰囲気のジーザスなのですが、コンサートだと食事の最初からもう気持ちがヤサグレている感じになっているのが興味深かったです。
ちなみに、コンサートの弟子とジーザスの配置はけっこうバラバラでした。弟子たちは鉄骨2階部分からジーザスを見下ろすような感じだったかな。本舞台だと上手上部で円陣組んでるんですけどね。
JCSの大きな見どころの一つが、食事の最中にジーザスとユダが言い争いに発展してしまうシーンです。
本舞台ではジーザスとユダがお互いの心の内を曝け出しながら激しく罵り合うのですが、コンサート版も身を裂くような激しいぶつかり合いに心が抉られます。特に、ユダが泣けるんですよね…。ジーザスの行いを否定しながらも、必死に「自分の言うことをもっと受け止めてくれよ!!」と訴えているように見える。ジーザスへの彼の内に秘めた愛情にも似た想いがひしひしと伝わってきて本当に切ないのです(涙)。
ジーザスもそんな彼の気持ちを悟りながらも、運命に逆らえないことが分かってしまっているので「お前の思う通りに行動すればいいじゃないか」と突き放してしまう。
一番グッと来たのがこの後。弟子たちが「引退したら福音書を書こう」と呑気に歌うなか、失望感に打ちひしがれているユダのもとにジーザスがそっと歩み寄り、自分が首に巻いていたスカーフをそっとユダの首にかけてやったのです。これは2年前の演出にはなかったので、最初に見たときは思わず目が潤んでしまいました(涙)。
ユダのジーザスに対する想いはちゃんと届いていたんだと伝わる演出がとても素敵だったなぁ…。まるで自分の身代わりだと言わんばかりにスカーフを渡すジーザスが本当に泣けました…。
それでもあえて「死」を受け入れようとするジーザスを理解できないユダは、捨て台詞を歌いながらスカーフを鉄骨部分に引っ掛けて走り去ってしまう。気持ちの部分では共鳴するところはあるのに、全てを受け入れることができなかった二人の別れがとても切なかった…。
そして暗くなり誰もいなくなったところにポツリと残されたジーザス。「一人でその時を待つにはあまりにも辛すぎる、誰か一緒にいてほしい」と歌いながら、弟子の名前「ペテロ(ピーター)、ヨハネ(ジョン)、ヤコブ(ジェイムズ)」と静かに呼びかけるのがまた哀しい…。日本語歌詞の「誰もいないのか?」よりもさらに一歩ジーザスの孤独に踏み込んだ字幕にグッとくるものがありました(涙)。
そこからのジーザスの独白♪Gethsemane♪。すぐそばまで「死」が迫っていることを悟りながらも、最後のあがきのように天の神に向かって「なぜ私が死を受け入れなければならないのですか!?」と本心をぶつける場面は圧巻です。ジーザスも他の人と同じ感情を持った一人の青年なのだということを思い知らされる。ここはもう、最後の抵抗なんですよね。ここの部分はコンサート版のほうがジーザスの苦しい胸の内がストレートに伝わってくるように感じます。
だけど、確実に「その時」がやって来る未来が見えてしまっているが故にどうしようもならない。それを悟った時に「死を受け止めてやる」と叫ぶように歌うクライマックスは圧巻です!!舞台版よりもめっちゃ天の神に噛みついてる感があって、最後はもう、魂が燃え尽くしたかのような感じ。受け入れると決めたときに、彼の全ての感情がこの世ではストップしてしまったのではないかとすら思いました。
ちなみに♪Gethsemane♪はクライマックスの部分でグワーーっと歌い上げた後に一度静寂な時間が訪れるんですよね。初めて見る人はそこで歌が終わったと思って拍手をしてしまいがち。ロイドウェバーも罪な歌を作ったなぁと思ってしまいますw。
なので、このナンバーの時は初めての方は拍手する前になるべく周りの反応を一瞬感じてほしいかなと思います。
ついに逮捕の瞬間♪The Arrest♪。ユダはカヤパたちにジーザスの居場所を教えた後、その場から動けない。そんなユダにジーザスは「お前はキスひとつで裏切ってしまうのか?」と歌うわけですが、コンサートではユダは自分の行動を受け止めきれないからか近づいていくことができずその場にうずくまるように座っていました。
本舞台ではユダがジーザスに思わず駆け寄って抱きしめ頬に接吻するんですよね。個人的にはラミン@ユダがマイケル@ジーザスに最後の抱擁と接吻をするシーンがちょっと見たかったのでここは少し物足りなかったかもw。
ジーザスが連行されていくとき、ペテロは一度は戦おうとしますがジーザスから「お前は漁師に戻れ」と止められてしまい固まってしまう。彼はきっとあの瞬間にジーザスに対する絶対服従の気持ちが折れてしまったのかなと思いました。
最後の晩餐の時にジーザスはペテロが3回裏切ることを予言。結局その通りの展開になってしまうのです。これも福音書に書いてある出来事なんですよね。
ピラトがいよいよジーザスと対面するシーンも印象的です。ファーストコンタクトの時は、ピラトはジーザスを”奇妙な青年だな”くらいの軽い気持ちしかなくて、面倒だからヘロデ王に判断してもらえと投げてしまう。この時点で彼は「どうせ何てことない罪状で無罪になるだろう」くらいにしか思ってないんじゃないかと見えました。
ちなみにジーザスはこの時逮捕されてる状況なので、コンサートでは手を前にクロスして鎖に繋がれていることを表現していました。
そして、ようやくずーーっと舞台上手最上階で暇そうにしていたヘロデ王が満を持して登場する♪King Herod’s Song♪。本舞台ではこのシーンのみでしか出番がないのですが、コンサートでは最初からこの唯一の見せ場までずーーっとライトが当たらないなかで存在し続けているのが非常に面白いですw。
ここで面白いのは、ヘロデ王のハイすぎるテンションとジーザスのローすぎるテンションの対比ですww。この一発に賭けてるだけあって、藤岡@ヘロデはめちゃめちゃ元気で弾けまくってるのですがw、ジーザスは終始ほぼ無表情でたまに「なんでこの人あんなテンション高いんだろう」みたいな冷めた目でヘロデに目線送ったりしてる(笑)。
この、本舞台以上に全く噛み合ってない二人の対比がコンサートでは際立っていてとても面白かったです!
ちなみに本舞台ではヘロデ王が囲っていると思われる美女(ヘロデガールズ)が登場。「私の家族を養え」というシーンは彼女たちの生活を保障しろと言っているかのように見えるのが面白いですw。
コンサートバージョンでは、ヘロデ王の独断場(このシーンしか出番ないのでなおさら)となるのでガールズの存在はなくて正解かもと思いました。
このハイテンションシーンの後にくるマリアとペテロが歌う♪Could We Start Again, Please?♪。逮捕され迫害を受けるジーザスを目の当たりにして、「あなたの言いたいことは理解できたけど、どうにか最初からやり直すことはできないのだろうか」と歌うところが切ない。二人のハーモニーが非常に美しく響いていたのも印象的でした。
ユダもジーザスが逮捕された後に拷問を受け傷ついている姿を見て激しく動揺しカヤパやアンナスに猛抗議。ちなみに本舞台では逮捕されたジーザスが民衆たちから罵られる時に次々と石を投げつけられるという演出が入ります(もちろん本物じゃないですが)。
しかし、そんな彼を蔑視するように「金もらったお前はただ黙って見て行けばいいんだ」みたいにあしらわれて改めて自らの罪と向き合わざるを得ないことになる。
本舞台ではユダが混乱から舞台を駆け回る演出になるのですが、コンサートではどちらかというと動きは少なくてうずくまりながら自問自答するといった印象が強かったです。少ない動きのなかで激しい葛藤を抱え泣きそうになっているラミン@ユダはとても儚く痛々しい(涙)。ジーザスへの愛情が募れば募るほど自分の罪の重さに潰されそうになっていく感じで、見ているこちらの胸が抉られるようだった…。
そして最も印象的だったのが、♪Judas' Death♪でこの世で居場所がないことを悟ったユダが最後に手放していたジーザスから贈られたスカーフを再び手に取り首にかけるシーンです。そして、最後の最後にそのスカーフで自らの首を絞め終わりを迎える…。これは前回コンサートではなかった演出なので、ものすごく衝撃的でした。
ユダは、自らの命をジーザスの想いのこもったスカーフを使って終わらせる。とても切ないドラマだったと思います。
再び自らの元へ連行されてきたジーザスに戸惑うピラトと、死を覚悟したうえで自らの信念を貫くジーザスが問答するシーンもものすごい迫力がありました。しかし、ピラトは「意味不明なことを言うだけの青年」という意識しかなくて「彼は無実ではないのか」と民衆たちに呼びかける。それでもかつてジーザスに熱狂していた民衆たちは手のひらを返したように「ジーザスを殺せ」と大合唱。このシーンを見ると、人間の気持ちの移り変わりの恐ろしさを感じますよねぇ…。
コンサートでは少しわかりづらいかもと思うのが、ジーザスが鞭打ちの刑に処せられる場面。
ピラトはジーザスの無実を確信しているのですが、民衆たちから石を投げられたりと自らの立場が危うくなったことに恐れをなして「鞭打ちの刑」を宣言するのです。本舞台では実際に繋がれたままたらいまわしにされるジーザスが鞭打たれるシーンが出てくるので分かりやすいのですが(というよりも、鞭打ちの痕まで見せられるので非常に痛々しい 汗)、コンサートでは数字を叫ぶごとにライトがジーザスに突き刺さる演出になっています。それを、周りのアンサンブルさんたちが手で鞭を打つリアクションをするのです。
ちなみに、旧約聖書で「鞭打ちは厳しすぎる刑なのでやるとしたら40回まで」という記述があることに由来しています。ジーザスが無実の罪にもかかわらず黙って鞭打たれ続ける姿に、ピラトは気持ちが耐え切れなくなって39回打ったところで鞭打ちの役人を払い除けてしまうのです。
コンサートのジーザスは耐え忍んだような表情で立ち尽くしていますが、実際の舞台では息も絶え絶え状態になっていて非常に痛ましいことになっています。
ピラトは傷つきながらも毅然とした態度で自らの主張を変えず死を受け入れようとしたジーザスの姿を見て、「お前自身がそんなに死を望むならそれを受け入れるがいい」と死刑を宣告してしまう。コンサート版では最後の最後までピラトはジーザスの無実を信じている雰囲気が強かったので、この場面はものすごく切なかったですね…。体は傷ついていないけれど、心に大きなダメージを負ったのはピラトのほうだという印象が強い。
そういう意味では、ジーザスは自らの意思とは違うところで多くの人を翻弄してしまう哀しい青年だったのかなと思いました。
そしてこの作品の中で最も盛り上がるといっても過言ではない♪Superstar♪へ。ピラトがジーザスへのもどかしい気持ちをグワ~~っと叫ぶように歌った後に繋がってくるので、見ているこちらのテンションのボルテージも一緒に上がっていくのを感じます。この流れを作った若き日のロイドウェバーの才能って本当にすごいんだなと改めて思いました。
この場面は、ジーザスを愛しながら裏切ったことで良心の呵責に耐えきれず命を絶ったユダが、彼を皮肉りながらノリノリのロックで歌います。JCSの作品は知らなくても、このナンバーは聞いたことがあるという人も多いかもしれません。
四季版ではユダがジーザスに対して「名高いあなたの磔は大見栄切ったか、本心なのか?」という訳になっていますが、字幕だと「不幸のワースト記録を作りたかっただけなのか?」みたいな、より皮肉が効いてる感じで面白かったです。
ラミン@ユダは舞台に並んでいるアンサンブルさんたち一人一人と向き合いテンションを引き上げるように歌っていて非常にパワフルでカッコよかったです!
ただ、思い切りジーザスを皮肉ったロックを歌いながらも「誤解するな、俺はただあんたを知りたかっただけなんだ」という切実な気持ちも含まれているのがグッときます。ジーザスが何でもできる王様のような振舞いをしているように見えてしまったユダは、なんとか軌道修正させて自分と対等な立場まで戻ってきてほしかったのではないかと思うんですよね。敬愛していたからこそ、自分の理想像とかけ離れてしまったジーザスに対し失望感を抑えきれなくなってしまったユダの悲劇が見え隠れしていて、高揚感を感じつつもちょっと切なくなってしまいました。でも音楽と歌の力がハンパないので気持ち的にはアガるんですけどねw。
ちなみに、本舞台ではユダの脇にコーラスガールがついてて「ジーザス・クライスト、誰だ、あなたは誰だ?」と歌っています。ユダの激しいロックと彼女たちの柔らかいコーラスの見事な融合も見所の一つです。
また、ユダのロックな歌に合わせて舞台上では痛々しい姿のジーザスが自分が架けられる十字架を背負いながら磔場所に向かって歩いていくシーンが展開される。最高潮のロックと、悲惨な光景が同時進行するというアンバランスさにも注目してほしいです。
劇場のテンションが一気に上がり切る♪Superstar♪で、もうここでエンディングでもいいんじゃない!?と思える空気になるのですが、ナンバーが終わった直後には驚くほどの緊張感あふれる静寂が待っています。直前までアツアツのロックが展開されていたとは信じられないほどの落差で、初めて見た人は驚くんじゃないかなと思うほど。
それが、♪Crucifixion(磔)♪そして♪John Nineteen: Forty One(ヨハネ伝19章41節)♪です。
本舞台では背負ってきた十字架にジーザスが架けられていくまでのシーンも出てきますが(釘で手足を打ち付けられる音も衝撃です)、コンサートではすべてを悟り神に魂を委ねていくようにじっとその場に立ち尽くすジーザスといった演出になっていました。
たしか2年前はけっこう動きがあったように記憶しているのですが、今回はすべての苦しみをじっと耐えてその場に立っているという雰囲気が印象的でしたね。ここは歌ではなくジーザスの語りによって彼が死を迎える瞬間までが描かれます。
「私の魂を御手に委ねます」と神に告げ最期を迎える瞬間のセリフはエコーも効いていて、ジーザスの魂がこの世から離れていく様がリアルに感じられました。舞台版ではラストは叫ぶようにこのセリフを告げて事切れていますが、コンサート版では静かに穏やかにその時を迎えているのが非常に印象深いです。
ちなみに、磔シーンではジーザスのセリフに合わせて不協和音のような音楽が流れているのですが、四季の舞台版で流れてくる録音のピアノ演奏は故・羽田健太郎さんが演奏していることで有名です。
ラストの♪John Nineteen: Forty One♪は、ジーザス亡き後に訪れた静寂のあとに流れる哀しくも美しい音楽のみのシーンになっています。
舞台版では十字架の上で死を迎えたジーザスの周りにマリアや弟子たちが集まってくるのですが(彼らには照明が当たりません)、コンサート版ではピラトやアンナス、民衆たち、そして地獄へ落ちてしまったユダまでもがジーザスの周りに集まってくるのが非常に印象的でした。すべての人の想いを一身に受け止めてジーザスは神の元へ旅立ったのだなと感じられるラストシーンはとても美しく荘厳でした。
キャスト感想は次のページにて。